巖室神社をご紹介
無事、執念の御朱印ゲットを果たせました。対応してくださった女性の方に、私のブログ記事に乗せていいか伺ったところ快く承諾していただけました。その時に巖室神社のパンフレットを頂きましたので、それを資料として以下の記事を作成しましたのでご紹介させていただきます。
歴史
正治(しょうじ)年間(1199)横山、河村他1名の守護人、産土神(うぶすながみ)として勧請した巖室神社は、島田市金谷1番地の岩を利用して神社とした歴史が伝えられ、慶長6年(1601)幕府から、神領として黒印を受け、4石を寄付された。
昭和60年(1985)、県下神社・仏閣の約四百箇所応募の内から百選の栄に浴した立派な森に囲まれた神社である。出典:巖室神社配布のパンフレット
正治年間 | 1199~1201年、土御門天皇の頃の年号で、鎌倉時代 |
守護人 | 1192年、源頼朝は朝廷から、武士をまとめていく最高の地位、「征夷大将軍」に任ぜられた。 それ以前から源頼朝が、鎌倉を拠点として政治を行っていた時代に、 軍事や警察の役割を果たす「守護」、土地の管理や年貢の取り立てなどを行う「地頭」を全国に配置した。 |
産土神 | その者が生まれた土地の守護神 |
勧請 | 離れた場所にいる神や仏に対して、こちらへ来てくれるように祈り願うこと。 |
慶長 | 1596~1625年、安土桃山時代・江戸時代をまたぐ |
神領 | 神社の領地 |
黒印 | 江戸時代に大名から黒の印が押された黒印状によって領地の権利の承認・確認がなされた土地のこと |
4石 | 米10俵分の土地(1石およそ1000㎡) |
1.1192年:横山、河村、他1名(守護人)が、その者が生まれた土地の守護神 として、勧請したことで巖室神社ができた。




神様の種類
氏神様
自分たちが住む地域を守ってくださる神様。
子供の誕生・成長、地域の平安、日々の生活などを見守り助け導いてくれる存在として崇敬されている。
御祭神
以下の三神を合祭
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて高天原(たかまのはら)~豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国を治めるように言われた神様
出典:巖室神社配布のパンフレット
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
瓊瓊杵尊の妻
山の神様である大山衹神(おおやまつみのかみ)の娘。出典:巖室神社配布のパンフレット
橋の名前”ひめみやばし”の由来でしょうか?
金山彦命(かなやまひこのみこと)
金屋神(かなやがみ)とも言われ鋳物師、鍛冶屋の信仰が厚い。
古来の集落形成には、鉄を取扱う職人が必要であった(戦があれば刀、槍、馬具、生活のための鍋、釜、諸々の必需品を制作するため)ため、珍重な存在だった。
金谷の名も、金山彦(かなやまひこ)の神名から由来したとの説もある。
出典:巖室神社配布のパンフレット
年中行事
歳旦祭・初詣で(1月1日 午前零時)
1月1日早朝、宮中および諸神社で行われる祭祀。新年を祝い国民の福祉、五穀の豊穣、皇室の繁栄を祈るもの。宮中では天皇が四方拝の儀式の後、宮中三殿を拝する(旦は朝の意)
巖室神社社務所玄関両側に門松を飾り、12月31日午前9時より、責任役員・常任役員により拝殿・境内の清掃と祭壇を設け、飾りつけ、夜間照明・篝火(かがりび)施設の設置。初詣される方々に御神酒・甘酒をふるまい、希望者には破魔矢を配布する。出典:巖室神社配布のパンフレット
かがり火もやってるんですね。来年は御神酒を頂きに初詣に行こうかと思います。
建国祭(2月11日 午前10時)
新しく国を建て一国の基礎をたてた日、国民の祝日のひとつ。
もと四大節の一つであった紀元節は、神武天皇が即位した日とされる日を記念した『紀元節』は昭和23年(1948)廃止され建国をしのび、国を愛する心を養う趣旨で、昭和41年制定され、翌42年より実施。
巖室神社では拝殿において、一般参詣者も参加して建国祭神事を行う。出典:巖室神社配布のパンフレット
建国祭神事があるんですね。一般の人も参加できるみたいです。
巖室稲荷神社(2月11日午前10時30分)
慶長6年(1601)、当社は、高天神白(小笠郡大東町・現掛川市)城主伊奈備前守忠次(徳川家康の家臣で関東群代として活躍)から、神領として4石(米10俵分土地)をいただきました。その時神領といっしょにいただいたのが、毎年10月の例祭の列の先頭に立つ『青銅の鉾』と『のぼり』です。この慶長6年に、時の神官横山八右衛門が本殿の東側の岩の中に小さなお社を建てておまつりしたのが、今のお稲荷さんです。祭神は【倉稲魂命(うかのみたまのかみ)】で、この神様は、食物の神で、当時ようやく増加しつつあった金谷の人たちが、豊かな生活ができますようにと、五穀豊穣を願うために〈のぼり〉を奉納しておまつりをはじめたのだといいつたえられております。
出典:巖室神社配布のパンフレット




10月の「巖室神社例大祭」の際に、『青銅の鉾』『のぼり』が先頭に立っているということで、見てみたい人はぜひご参加ください。
六月大祓(みなつきおおはらい) (神事 6月30日午後7時)
~みな月の夏越(なごし)の祓(はらえ)する人は千歳(ちとせ)の命のぶというなり~
6月の大祓は、みな月の祓、夏越(なごし)の祓、みそぎ祓ともいって昔から伝えられてきた尊い儀式で合って、当日は宮中を始め全国各地の神社でも今も厳(おごそ)かに行われております。
即ち、自分が知らない中に犯した過ちや、他から受けた種々罪穢(つみけがれ)を、男は白の形代(かたしろ)、女は赤の形代で祓い清め、自ら清らかな心になり、カヤで作られた直径2メートル位の【茅の輪】をくぐり、氏神様に誓い、天地に恥じない公明正大な気高い精神をもって、一家安泰に過ごして行こうとする行事であります。出典:巖室神社配布のパンフレット
「形代買いますか?」と毎年回覧板が回ってきていたような気がします。(我が家は八雲神社の氏子だそうです。住んでる場所で神社がちがうんですね)
日付を忘れてることが多くて、買ったけど行かなかったりして、まだ1度も参加してないので、今年こそ禊に行こうと思います!一家安泰に過ごしたいです。
日本全国でやってるんですね?私は見たことなかったです。
巖室神社例大祭(10月9日(くんち)に近い土曜日~日曜日)
例大祭初日初舞の儀 拝殿で宵祭・初舞の式典
式典終了後神楽殿において御神楽舞奉納。出典:巖室神社配布のパンフレット
例大祭当日例大祭の儀
神社役員・来賓・祭典当番町・御神楽当番町・猿田彦命(さるたひこのみこと)・斎姫(いつきひめ)2名・御神楽舞姫2名参列。午後10時より拝殿において例大祭の式典出典:巖室神社配布のパンフレット
御神輿渡御午前10時45分神社出発。行程順行路内には氏子町内設営の締切4か所・会所8か所に迎えられ御仮屋(天王町)から神社に帰還するまで行う。出典:巖室神社配布のパンフレット
御神輿の『青銅の鉾』『のぼり』が先頭に立っているということで、見てみたい人はぜひご参加ください。
そういえば、金谷に越してきてすぐ、夫が八雲神社の、大祭に参加してました。所属の町内会が当番だったのかな?
天狗さんの手引き役でした。
八雲神社の大祭は初夏の頃で、汗だくで帰ってきて倒れるように寝てましたので、相当疲れたんだと思います。
鎮火祭(10月28日 午後7時)
鎮火祭は「ほしずめのまつり」ともいわれ、宮廷祭祀のひとつで「令義解」によれば6月、12月の吉日をトとして神祗官(しんぎかん)の占部(うらべ)が「宮城四方外角(きゅうじょうしほうがいかく)において火を鎮めて祭る、いわゆる火災を防ぐための祭儀であったとされています。
巖室神社の特殊神事としての「鎮火祭」は、いつの時代に始められたものか、また、その由来党は記録文書等が残されていないため定かではありませんが【金谷町誌稿】によると、京保15年(1730)正月16日に大火類焼517軒 内金谷町154軒・河原町363軒、さらに6年を経た元文元年(1736)11月16日 河原町火災 字藪屋町市ヶ島(現扇町・泉町)類焼86軒が記され、時の神官が再々の火難を憂え迦具土神(かぐつちのかみ)の怒りを鎮めんととの思い入れで、延喜式の神祀 鎮火祭に則り(のっとり)始められたものと思われます。
巖室神社の鎮火祭は、10月28日の日没を持って氏子達が参集するなかで行われます。庭場に祭場を設け、五菜(人参・大根・里芋・牛蒡・果物)の神饌を供し、水神・匏(ひさご)・埴山姫(はにやまひめ)(砂)・川菜の四種を供え、厳かな祭事が執り行われます。鎮火祭の神事では、神官が太刀をもってあらかじめ設けられた焚き火を切り、匏に盛った水を掛け、埴山姫(砂)川奈によって火が鎮められ、あたかも往古を思わせる趣(おもむき)があります。(金谷町教育委員会発行【町の文化財】より)平成2年7月9日金谷町指定文化財に指定された。種別 : 民族無形文化財
名称 : 巖室神社鎮火祭
構造及び形式等の特徴 : 神官が太刀を以て火を切り水砂川奈により消火する
平成24年2月11日「巖室神社鎮火祭」案内看板・島田市博物館により設置。出典:巖室神社配布のパンフレット
簡単に説明します。
昔、大きな火事が続きました。
迦具土神(かぐつちのかみ)の怒りを鎮めないと。
ということで、祭が始まりました。
ひさごというのはひょうたんみたいなもので、そこに水が入れてあります。
水以外にも、砂と川菜が用意してあります。
神官が、太刀で火を切ります。そのあと砂・水・川菜で火を消します。
といった流れでしょうか。
七五三詣で(11月第2日曜日 午前10時)
七五三詣は、歴史は古く平安時代から子供たちは男女ともに三歳の髪置(髪の伸ばし始め)、五歳男児の袴着(初めて袴を穿く)、七歳女児の帯解(着物に帯を用いる)の祝いを重ねることで社会に認められていきました。一方医学的に見ても三歳で言葉を発し、五歳で知恵がつき、七歳で歯が生え変わる頃とされております。また、この頃は様々な病気に架かり易い時期でもあります。七五三詣は、誕生から幼児期までを無事に成長した事を感謝し、今後の無事成長を祈願する人生儀礼として行われております。このような由来の基に、巖室神社では毎年11月第2日曜日に七五三詣の神事を行っております。参加された子供さんには御供物・千歳飴・おりがみ等を贈呈しております。
出典:巖室神社配布のパンフレット
詳しく知りたい方は巖室神社にお問い合わせください。
予約必要なのでしょうか?
当日行けば参加できるのでしょうか?
代金は?
など。
社務所のTEL:0547-45-5422
個人宅のTEL:0547-45-3508(個人宅です。ご配慮願います)
巖室神社の動画
役員さんがお話してくれています。
文章よりわかりやすいかもしれません。ご覧ください。
まとめ
・巖室神社は地元で愛され親しまれ大切にされている神社
・巖室神社の年中行事の大きなものは6種類
・中でも大祭は地元の人が楽しみにしている
・氏子でなくても参加できる行事がある
神社やお寺の知識がほとんどない私には難しい内容でした。
(記事の内容はパンフレットに記載されています。少しだけ説明を入れさせてもらいました)
興味を持っていただけたら、ぜひ足を運んでみてくださいね。
記事の最終確認で巖室神社にお邪魔しました。
ご丁寧に対応いただき、また貴重なお時間を頂きました。
ありがとうございました。
最後までお読みいただきありがとうございました。